知らないあなた
 


     6



それはよく晴れた青空の下。
ヨコハマの海がどの部屋からも一望できることが売りの、
ラグジュアリーな某一流ホテルの奥向きに設けられたガーデンテラスに、
それは品の良い装いを自然なそれとしてまとった老若男女が顔を合わせており。
さりげなくも手の込んだ染め付けの、上品な小紋を着つけた夫人と、
英国産だろうややクラシカルなタイプのスーツ姿の壮年世代の紳士、
まだ十代かそれは可憐なお嬢さんという片やに相対していたのは、
やはり壮年だろうが鷹揚そうな笑みは年齢不詳な雰囲気の、
深色のスーツで身を固め、秘書だろうか黒服の男性を従えた
こちらもなかなかの威容をまとった紳士が一人。

「すみませんね。
 こちらの主役は所用があったようで少々遅れるようです。」

それは鷹揚に構えた泰然とした態度が様になる、
シックで高級なセミフォーマルを着こなす黒髪の紳士が、
繊細そうな表情をやや情けなくもたわめ、申し訳ないという語調で声を掛けたところ。
そちらはなかなかに恰幅のいい、相手の壮年殿は鷹揚そうにかぶりを振って見せ、

「いやいや、こちらこそとんでもない我儘を聞いてもらっているのです。
 このような場を設けてもらえただけでも恐縮至極、
 いくらだってお待ちしますよ。」

如才のない物言いだが、ちいとも恐縮しているような態ではなく、
相手の粗相を大目に見てやるというのがありありの、
その頭も会釈ほどにも下がってはいないのが、
ポートマフィア首魁の森鴎外氏には いっそ滑稽でならぬ。
時に 相手へ油断させんという目的から、
必要もないほど下出に出てのご機嫌伺いというポーズをとることもないではない。
状況が判っていないままに傲慢な態度でいたものが
コトの全容が判って真っ青になる小者というの、飽きるほど見て来たがため、
むしろ、そんな態度でいればいるほど、
何かあっての形勢逆転となった折、態度のすり替えはさぞや大変だろうなぁなんて、
こちらから案じてやったりするほどで。

 “ま、この御仁に関しては、
  今更何か面白みが発見出来ようとは思っちゃあないが。”

むしろ、自分の身内の側が見せるのだろう、
態度というか健闘の方が今からちょっぴり楽しみでしょうがない。
相変わらずに お人の悪い首領様で、
当該者本人へ何の用があっての招聘か、この段階でも伝えてはいない。
ただ、粗相のないよう迎えねばならない賓客がいる場なのでねと、
五大幹部である紅葉を介し、
そちらも同じ格の上級幹部だのに伝令役になってしまった格好の中也へそうと告げておいたので。
そうまでの顔ぶれによる間接式で伝えた以上、
間に立った者の顔は潰せぬくらいの道理は判ろうし、
鏖殺の場からの直行というよな物騒さでは現れまいと、
登場というのっけから あまりに場違いなサプライスはなかろうと踏んではいる。

 「いいお日和だ。」

ヨコハマの海が広々と望めて、しかも交通の便も良い位置に、
此処まで広大な庭園を抱えられるホテルなぞ そうはない。
百花苑としての独立した営業が可能なほど、それは奥行き深い花園を、
主たる顔ぶれはほんの一握りという顔ぶれで貸し切りにしての
これから一体何が催されるのかと言えば、

 『お恥ずかしい話ですが、どうしてもあの方が佳いと言ってきかないのですよ。』

それは由緒あるコンツェルンの筆頭、
創業者筋の現在の主家を数十年に渡って牛耳り、
日乃本一の事業グループが一隅として肥えさせてきた、
名実ともに最強権力を担う当主様だそうで。
伝聞のような言い回しとなったが、実際、鴎外とも付き合いは結構長い。
先の首領から引き継いだ伝手の1つであり、
交易の街ヨコハマにおける、財界筆頭と呼んでも大仰ではないほどに
それは強大な基盤を持つ存在で。
森コーポレーションのフロント企業の幾つかと提携を結んでおり、
事業や資本の融通をし合うこともあるが、
それはあくまでも帳簿のうえだったり世間へ向けてのポーズのようなもの。
実態はといや、社会的な隠れ蓑となろう そういったバックアップと引き換えに、
邪魔者を物理的に陥れたり揺さぶったりするお助けを買って出て来た間柄。
裏社会の雌雄を決する大きな諍いが起きた折も、
互いの立場を護り護られして現在の繁栄があるといえ。
ただ、そういう激動の時代に手を結んでいたのは先の首領だったので、
あれこれ落ち着いてきた現在、
新たな火種も居なくはないが、
それへの対処にはもはやそんな大時代の“提携”などさして用を為さないだろうと、
鴎外にも重々判ってはいる。
政治家や金満家には用はないとばかりに裏社会での同盟立ち上げて、
最初は自分たちの身に似合った縄張りを元手に、
それがいつしか勝手に国家単位の制御を人質にとってのサイバーテロだの取り引きだの、
派手な駆け引きをこなしている輩もいるとか。
そんな連中には、
百年近い歳月引き継いできたつながりという絆さえ鼻であしらわれて終わりだろうし、
逆にいや、そういったものに固執する堅い頭の存在は
淘汰される世が来るのだと、本気で思っているのやもしれぬ。

 “まま、そこまで冷徹なこと主張する人間たちが、
  冷徹なままでいられた歴史もないのだが。”

ゲーム感覚で 合理主義至上だなんて、クールにも非情に構えて始めたこと、
それが果たしてどこまで貫き通せるか。
酷いことをされた方はそれを忘れはしないし、
力をつけての破れかぶれで復讐にやって来るやもしれぬ。
老いてしまった覇王が身を守りたけりゃあ、その地位を形代に次代に守りを託すしかないが、
非情に徹して育てた連中の頭に、果たして算盤抜きの“忠心”があるものだろうか。
恩なんて感じてやしなかろうから、条件が良ければ相手へあっさり売るのは必定で、
それもまた紛うことのない“弱肉強食”の図であり、
最盛期にさんざん図に乗って、情を踏みにじった醜い鬼が、
老いた身をよじって 憐憫をもって見逃せとか言い出す愁嘆場になるのもよくある話。
そういった盛衰を様々に、傍観という格好で多数見て来た鴎外としては、
どちらが正しいのか、どちらが悧巧なものかと、
いまだ傍観者の立ち位置を離れようとしちゃあいないが、

 “こたびは、そう。”

この大時代型権勢者の驕りっぷりは はっきり言ってどうでもいい。
何か勘違いしているようだが、そんなもの、策を弄すまでもなく、
適当な窮地へ追い込んだうえで、はて生憎と知り合いではなかったようだがと突き放す格好
ひょいとひねり潰すことは何時だって可能だからで。

 「年がいくといけませんな。幼く拙い子が可愛らしゅうてしょうがない。」
 「ええ、ええ、判りますとも。」
 「私がいなければこの子はどうなってしまうのだろと思うにつけ、
  どうで目が離せないし、世話を焼きたくなるというか。」

親ばかともいうそんな感情へと協調して見せれば、
独り身だろうに何を調子の良いことを言ってとは思わないものか、
うんうんと頷きを返す壮年で。
大方、鴎外の側にも、配下に数多いる構成員たちの内に、
息子や娘に匹敵するよな深い寵愛授ける顔ぶれがいるとでも思うているのだろう。
恩讐を重んじる犯罪組織というと、
彼の世代なら義理や情を尊ぶ任侠系をついつい想起しもするのかも知れぬ。

 それで、と
 こたびのような莫迦げた話を振って来たのだろうな、と

それはエレガンスな微笑を浮かべた鴎外が、
だがと、やや表情を曇らせて言い足したのが、

 「ですが、あの子は育ちもさほどに上等な身ではありません。
  気も荒いし、身分不相応なのではありませぬか?」

それを言う前に、何より“指名手配犯”なのに。
それも大勢を手に掛け大量殺戮を犯したという重犯だ。
爆弾とそれから異能によって、
敵対組織や軍警の施設、あと警官らをほんの山ほど、
眉一つ動かさずという冷酷さで血祭りに上げて来た悪鬼であり。
そんな男を、何とその悪行を連ねた手配書で見たそのまま、

 『一目惚れしましたvv』

そんな寝言をのたもうたその上、
あのお人と一緒になれないなら、わたくし、お部屋から出ませんなどと、
論旨がよく判らぬが、恐らくは脅迫という名の駄々を親御に向かって放った、
彼ら夫婦には目に入れても痛くない級の溺愛そそぐ末娘様だそうで。
表向きは長子へ家督を譲ってはいるが、発言力はいまだ健在の大御所様。
事業への采配も冴えたそれを振るい、
ほんの直近にも海外の企業との提携へ、それは巧みに条件を出したり引いたり
相手をさんざんに翻弄したうえで、結果、こちらに有利なばかりの約定を締結させたとか。
駆け引きへの勘はまだまだ健在な古だぬきだが、末娘の我儘には敵いませんのでと、
いかにも人らしいところを見せているが 何の何の、

 “裏社会の構図には通じてもない一般人の素人な分際で、”

娘に甘い馬鹿親の素振りで、その実は次世代のホープを人質にとり、
こちらをいよいよと顎で使おうなんて。
血統大事の財界では通用するかもしれぬ手法、政略結婚の真似事を持ち出しているのだろうが、

 “ウチは人材に困ってはないのだが。”

組織をながらえさせるためには、一個人の生命などあっさり切り捨てられるのが組織の長。
そういう順番を巧みに構え、異能特務課さえ出し抜いて来た。
非情上等、そういや以前にもそんな策を講じてあの子が出てったのだったなぁと、
柔らかな紫色が可憐な萩の茂みを眺めつつ思い起こしていたところへ、

 「…首領、遅くなりました。」

耳に馴染んだ声がして。
おやと振り返った先、テラスへ出る大窓の際に、
外套の裾を器用に捌き、ひざまずくよにうずくまる姿もそれは決まった、
帽子を胸元に伏せて礼を拝す小柄な男の姿があって。

 「おお、待ちかねたよ、中原くん。」

自分や自分が手づから育てたあの子とは違い、
礼節を重んじ、恩義を重んじ、
やや失敬な呼称で“社畜”ばりに組織や鴎外へ命捧げてもと尽くす気満々な、
小さな五大幹部の中原中也が。
こたび受けた指示に従い、馳せ参じたようであり。

 「あの子は連れて来てくれたのかい?」

そうと問いかけるのへ、片膝付いた恭順の構えのまま、
はっと短く応じて頷いて見せ、ちらり肩越しに後背を振り向けば。
ロビーにあたる空間に待たせていた存在が、すぐ間近まで進み出て来て姿を現す。
華奢なその身を包んでいるのは、
か細い肩や背、二の腕を強調するよなシンプルな型の、濃色のシックな黒い長外套で。
小さな白い手の甲を、半ばほどまで覆う袖口にも、
下手に殴り掛かられれば折れてしまいそうに細い首元にも、
優雅なフリル使いこそ為されているが、
ガラスのはまったボタンや クリスタルのブローチなどという、いかにもな飾りっ気は一切なく。
そのような後付けの宝飾品でごてごてと飾らずとも、本人がなかなかの見栄えでおいで。
深いところからの白がそのまま滲み出しているかのような、
見ていて吸い寄せられそうになる色白の肌をしていて。
繊細な、いっそか弱いほど頼りなげな横顔のラインは、
だが、その内側に毅然とした表情を支えており。
どのような混沌に襲われても、その細い背中は揺るぎはしない。
それは冴えての凛然としている存在だというに、
そこが禁忌的に映っての、倒錯した蠱惑を感じさせなくもなく。
身の程わきまえぬ下衆な輩には、ねじ伏せて屈辱に染まった顔を見たいなぞと、
まずは力量の差を考えよと呆れてしまいそうな劣情を抱かせることもあろう、
冷たい美貌をたたえたそのお顔、やはりやや俯けるよにして膝を折り、
首領を前に控えて見せる、今日のこの席での主役の一人であったのだが。


  「………芥川、くん?」


しばしの間を置いてから、ややあって鴎外がどこか窺うように声を掛けたその人は、
確かに…自分の部下であり遊撃隊を任せた幹部格の一人、芥川龍之介に似ていたが、
それと同じくらい、一目見てそれと判るほどに、そりゃあ可憐な美少女だったので。

  これは一体どういう趣向だろうかと、冗談抜きに鴎外の目が点になった。

犬猿の仲とはいえあの養い子とは付き合いも長く、
その子が放置していった芥川を任された恰好の中也が、
首領である自分の出した指示に従って連れてきた以上、
ウチの芥川くんに違いないのだろうと…なんだか順番のおかしい道理を頭の中で展開させかけたものの、

 「…はい? そのお嬢さんが “彼”だというのですか?」

居合わせた壮年殿がややもすると巫山戯るのも大概にと言いたげに、
低く唸るような憤然とした声で訊く。
町中に貼られた手配書の主に惚れたなんぞと言い出し、
親を脅迫するような娘もどちらかといや大概おかしいのだが、
このような主人を馬鹿にする部下を放置して良いのかと言いたげな客人へ、

 「そこなのですよ、○○様。」

中也は鴎外へ一礼を示してから、すいと顔を上げると口を開き、

 「手配書で見初めたそうですが、その手配書自体が間違いのもと。」

そもそも此奴は一度も軍警に捕まってはおりませぬ。
そこでと作られた手配書は、いくつもの事件で回収された、
何とか無事だった防犯カメラがとらえた姿の継ぎ合わせのようなもの。

 「なので、本人をまんま映した代物ではなく。
  ご令嬢が見初めたように美青年に見えなくもない姿となっておりますが、
  当人はこちらに間違いはなく。」

ねえと、此処で改めて鴎外へ視線を向けた中也だったのへ、
一時停止状態にあった首領殿。
そんな彼へ向け、

 「護衛をとの任と伺い、参じました。」
 「…お。」

短くそうと口にした芥川本人の声を聞き、
ハッと我に返ってどういう運びかに気が付いたところはお流石であり。
背まで伸ばした髪を俯くことで頬にすべらせ、
恭順の姿勢を見せる少女を前に、

 「すまないね、私からは言い出しにくかろうと気を遣わせてしまったねぇ。」

小さく頬笑んでそうと紡いだ首領殿なのへ、
やはり視線を下げたままな中也が“お?”という顔を一瞬見せた。
鴎外が乗ってくれるかは五分五分と、結構いい加減な言いようをしていた太宰だったためであり。

 『手前、現場に立つのは俺だぞ、そんな賭けに付き合えというか?』
 『大丈夫。五分五分だと思うのは、森さんがこの子を思い出せなきゃあという条件下での話さ。』

先の騒動でこちらに来ちゃってたこの子だと思い出せれば、こっちの腹にも察しが付こうから。
そもそも、あんな古だぬきの勝手な懐柔策に乗りたかないだろ森さんだろから、
渡りに船とばかり、こっちの策に乗ってくる。

 「…イヤすみませんね、
  いつ言い出したものかと逡巡しておりましたが、
  実はこの子こそがウチの芥川くんなのですよ。」

本人が遠征に出ていて引き合わすにも機会が取れず、今日の当日しか呼び寄せられずで、

 「それは強く思い入れのおありなご令嬢には、何と言っても嘘だ誤魔化しだと容認されぬに違いなく。
  なので、本人に引き合わせるが早かろと…。」

と、そこまでを述したそんな間合いへ、不意打ちも甚だしい轟音が轟いて。
ハッとし、素早く立ち上がったマフィア組が周囲を見回し、
庭園の其処此処へ配置されていた黒服らが緊迫しつつも“指示を”と見やって来るのへ、
顔を見合わせた中也と龍之介嬢、

 「○○様ご一家を囲い込んで守り切れ。首領、皆様とホテル内へ避難なさってください。」

前半は耳から頬へとすべらせる恰好で装着していたインカムへ短く指示を出し、
後半は直接という格好、爆音から逃げるよに駆けてきたご一家を確認しつつ
鴎外本人へと告げる中也であり。

 「この騒動も把握済みかね。」
 「はい。恐らくは○○様への遺恨を抱えた賊かと。」

こそこそと耳打ちにて情報を刷り合わせる。
実は昨日も、急襲が掛かっていた令嬢だったのでと付け足している傍らから、

 「羅生門っ。」

やや腰を落として身構えた長髪の美少女が、
黒外套の衣嚢へ手を入れ、そうと一喝した途端、
その外套が黒々とした影を織りなしての奔流のよに溢れ出させる。
庭園の中に敷かれた赤いテラコッタの遊歩道を舐め、
生き物のように駆けって行った謎の影は、
せっかくの花園を彩る早咲きの薔薇の茂みから飛び出した胡乱な輩へ一斉に襲い掛かって、

 「ぎゃあっっ。」

不意打ち成功とほくそ笑んでいたらしき武骨な賊へ一気に食らいつくと、
肩やら耳やらに食らいつき、茂みへ押し戻した凄まじさ。

 「そうか、そうだよねぇ。羅生門だって操れるんだ。」
 「……はい。何せ芥川本人ですから。」

 女性に転じさせられたとかいうんじゃあないのだね?

 そういう異能にも心当たりはありますが、
 それだと彼奴が触れればあっさり解けてしまいます。

もしかして君にそんな腹芸が出来るようになってたとはそっちも初耳だよと、
それは良心的ないい笑顔にて語る中也へも感心しつつ、
なかなかに面白い段取りへくつくつ笑った鴎外殿だったのだ。



  to be continued.(18.09.04.〜)


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 *こういう背景あっての此処まででございました。
  肝心なところへ突入する直前に、忙しくなってぶった切ったままになっててすいません。
  もうちょっと続きます、お付き合いくださいませ。